ビタミンの歴史|食と健康e840.net ビタミンの歴史

ビタミンの歴史

ビタミンを発見したのは実は日本人なんです。ビタミンの歴史は、まだ浅く今から100年ほど前の1910年に東京帝国大学の農科大学(現在の農学部)教授だった鈴木梅太郎(1874年~1943年)は、脚気に効く物質を米糠から取り出すことに成功しました。これが世界で初めてのビタミンとなりました。鈴木梅太郎は米糠から取り出したビタミンをアベリ酸(のちにオリザニンと改名)と名づけ、その年の12月13日の東京化学会例会で報告し、翌年、論文を発表しました。それが現在のビタミンB1にあたります。しかし、論文が日本語だったため、国際的には認知されず、1911年に、鈴木梅太郎博士が発見した同じ物質を分離したポーランドのフンク博士が、その物質を、生命の「vital」とアミン「amine」から、ビタミン「vitamine」と名づけ、世界的に広まったのです。

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ビタミンの歴史

ビタミンの発見から数百年前、まだ日本は江戸時代にビタミン欠乏による病気が流行していました。これは、江戸時代の武士や町人の食生活が玄米から白米になりビタミンB1が不足することでおこる脚気で江戸を離れると回復に向かうことから、脚気は「江戸わずらい」とも呼ばれていました。明治時代になると軍隊の間で脚気が流行しました。過剰な白米の摂取とタンパク質不足が脚気の原因と考えた海軍は、パンと肉を中心とした食事に切り替え、脚気患者は激減しました。しかし、白米主義に徹していた陸軍は、日露戦争下での脚気による死者が戦死者の半数を超えるという大打撃を受けました。白米推進の中心は、あの森鴎外陸軍軍医でした。もし、海軍が白米主義を通していたら、日本は日露戦争を勝利に導けなかったかもしれません。ビタミンC不足で起こる壊血病は大航海時代に流行したことで有名になった病気です。イギリスが世界を征服できたのは、海軍にライムジュースをもたせ、いち早く壊血病の予防に成功したからであるという、話もあります。

ビタミンに関する歴史的なできごと

1734年、J・G・H・クラマーは壊血病にかかるのはほとんど下級の兵卒であり、士官らはかからないことに気づいた。士官らは頻繁に果物や野菜を食べており、下級の兵卒らは単調な食事であることから、壊血病を防ぐために果物や野菜を取ることを勧めた。また、ジェームズ・リンドは1747年、イギリス海軍で壊血病患者を幾つかのグループに分け異なる食事を与える実験を行った。その結果、オレンジやレモンの柑橘系果物が壊血病に有効であることを発見した。しかしこれらの発見は黙殺され、結局壊血病は1797年にイギリス海軍において反乱が起き(スピットヘッドとノアの反乱)、その要求の一つにレモンジュースが入り、それが受け入れられるまでイギリス海軍を悩ませた(ただし、イギリス海軍本部は安価なライムを代用した)。日本でも日本海軍の水兵に脚気が蔓延し悩まされた。軍医大監だった高木兼寛は、士官は脚気に冒されず、かつ単調な食事をしてないことに気づいた(脚気の原因のタンパク質の不足説と米よりタンパク質を多く含む麦飯優秀説を提唱)。そこで 1884年、白米に大麦を加え、肉やエバミルクを加えるなど食事の中身を若干イギリス風にした。これにより脚気自体は無くなった。しかし、高木はビタミンの存在に気づかず、単にタンパク質が増えたためと考えた。

1896年には、クリスティアーン・エイクマンが滞在先のインドネシアで米ヌカの中に脚気に効く有効成分があると考えた。物質としてビタミンを初めて抽出、発見したのは鈴木梅太郎であった。彼は1910年、米の糠からオリザニンを抽出し論文を発表した。ところが日本語で発表したため世界に広まらなかった。 1911年には、カジミール・フンクがエイクマンにより示唆された米ヌカの有効成分を抽出することに成功した。1912年、彼は自分が抽出した成分の中にアミンの性質があったため、「生命のアミン」と言う意味で "vitamine" と名付けた。このとき発見されたのは、ともにビタミンB1(チアミン)である。

1913年エルマー・ヴァーナー・マッカラムは、バターまたは卵黄の脂肪の中にネズミの成長に不可欠な成分があることを発見し、翌年(1914年)その成分の抽出に成功した。マッカラムの抽出した成分は、フンクが抽出した成分と明らかに異なるため、前者を「油溶性A」、後者を「水溶性B」と名付けた。

1920年ジャック・セシル・ドラモンドが柑橘系果物の中の壊血病を予防する成分の抽出に成功した。「生存に不可欠な微量成分」=「ビタミン (vitamine)」の名称は、既に日常的に使用されていたが、これら新発見の成分は明らかにアミン(amine) の化合物ではなかった。そこでドラモンドは、ビタミンの発音はそのままで若干スペルを変更すること (vitamin) を提案し、発見した壊血病を予防する成分を「ビタミンC」と命名した。同時に、前段の「油溶性A」および「水溶性B」もそれぞれ「ビタミンA」、「ビタミンB」と命名されることとなった。以降、vitaminの綴りが定着していくことになる。その後、生命に必要な成分は幾つか見つかり、その都度、正式な化学構造が判明し適当な名前を付けるまでの仮称として、D,E, F,... と順に名付けられた(ビタミン K を除く)。また、ビタミンBに関しては、非常に似た性質を持つグループがあることが分かり、ビタミンB群として、B1,B2, B3,... と順に名付けられた。

さらにその後、ビタミンFなど、いくつかのビタミンは間違いであることや、ビタミンHなど、B群であることが判明し消滅した。その後、各ビタミンの構造が明らかになり、適当な名称が付けられたが、ビタミンB12(シアノコバラミン)やビタミンC(アスコルビン酸)など、ビタミンの方が知名度が高いものもある。 また、化学構造の解読が早かったり、解読の結果B群に属することが明らかになった結果、仮称(「ビタミン~」)が一般的でないビタミンも存在する(葉酸(ビタミンMもしくはビタミンB9)、ナイアシン(ビタミンB3)など)。2003年にはピロロキノリンキノン(PQQ) が半世紀ぶりに新しいビタミンとして発表されたが、その後ビタミンとははっきりとはいえないとされた

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